ドアノブ取れそう

親から、精神的・経済的に自立することを目指す

中身のない人間を脱したい

最近、真面目な態度をほめられることがある。ほめてもらえるとうれしい。だけど、わたしにとって真面目な態度を見せておくことは自分を守るためという面がつよい。

 

私の真面目な態度とは、真面目なフリをしているだけなのだ。たとえば、授業だったらケータイを触ったりしゃべったりしないで、先生の目をよく見ながらうなずいている。けれど、内心は早く終わらないかなという思いであふれている。宿題もやるにはやるが、全力じゃないし、提出期限ギリギリなことが多い。

 

あることにやる気があるから真面目な態度でいるわけではなく、やる気がないことを悟らせないためなのだ。あとは、もしなにか失態を犯してしまった時のために普段から真面目な態度でいれば少しは多めに見てくれるかもしれない、とどこかで思っている。

 

真面目そうな感じで欠点をごまかして、ここまできてしまったので、今更わたしにはぶきがなにもないということに気づいた。

 

何かに本気で向き合った経験がないから、とくに話すこともない。ああつらい。

 

 

結果がでないとしても、なにか頑張ってみたい。人として深くなりたい。できれば机の上で勉強できることがいい。義務教育のとき、それが本分なのにできなかったから。テストとか宿題とか計画的にやらず、ギリギリでやっていたので、いま高等教育まで終わっているはずなのに全然学がなくて恥ずかしい。

 

それがさらに、中身が薄い人間である原因になっているのかな。

 

つらいなあ。

 

 

ぼちぼち生きづらさが減ってきている

このブログやTwitterで生きづらさを嘆いてきたが、今はこのブログをはじめたころほど息苦しくない。このまま惰性で生きるのもいいんじゃないかと思いはじめている。また死にたくなったらその時考えることにした。

 

生きづらさが減ってきたとはどういうことか。急にめちゃくちゃ楽しくなったわけではない。相変わらず友だちはそんなにいないし、満足がいく容姿になったわけでもない。

 

スペックはほとんど変わってないのだが、おそらく完璧な自分になることを諦めたんだ。ていうか、無理ってわかった。

 

この制限付きのポンコツの器でどう生きていくか考えている。

 

疲れやすく、8時間の睡眠を必要とし、集中力も体力もないので、多くのことをやることは不可能だ。悔しけれど変えられない。

 

何に時間と金を費やすか、ぼちぼち考えていきたい。

 

まあ、完全につらさが消えたわけではない。以前にくらべ動けるようになったからって調子に乗って、スケジュールを詰めていたら熱を出したし、その後2週間くらい体調と精神が死んだ。

 

生きづらさが減っていくたびに、ここ数年は楽しめなかったことが楽しく感じられるようになっていくのがうれしくて、はじめて楽しいことを知った子供みたいにはしゃいでいた。

 

やっぱり、まだ完治はしていないだろうし、なんとなくこれ以上元気にはならないかなとも思っている。天候とか、課題が多いときとかは布団から起き上がれなくなる。体調がすぐれないときに人混みにいくと、動悸と変な汗がでる。

 

後遺症?的なものと付き合いつつ、ぼちぼち。

なんとなく、自分が調子悪くなる条件がわかってきたので、どうしても無理をするしかないときはダウンする日も予定にいれている。

 

あと、ときどき強烈な親への憎しみも顔を出す。これに支配されるとどうにもならない。今日も家にいるとき急にこみ上げてきて、気づいたらはさみでそばにあった服を切り裂いていた。これに関しては、いつでてくるのか、どう対処したらいいのかわからないし、原因もわからない。

 

今月来月あたりは、忙しいので夏休みに入ったら、情報を集めていきたい。

 

まあこんな感じで、完全ではないけど生きづらさ4割減くらいで生きています。

自分のダメなところしか見えなくなったときにやること

  • 自分の世話

落ち込んでボロボロになっている時って、普段なら意識していなくてもできていることが、おろそかになりがちだと思う。三食食べる、栄養バランスを考える、入浴する、などの行為が面倒に感じる。自分のふがいなさ落ち込んでいる時は、こんな自分に価値なんてないと思い込んでしまっている。そんな時に、食事や睡眠、入浴などの自分の世話をしてあげることは、自分を大事にしているというメッセージになると思う。

 

 

  • 身の回りのことをしっかりと

自分の世話をするというのとほとんど一緒だけど、落ち込んでからおかしな方向に奮起すると、無力感をふりはらいたい気持ちがわいてきて、現実離れした目標をたててしまいがち。まず、シャワーだけで済まさずに湯船につかるとか、布団をこまめに干すなど、毎日を丁寧に過ごして土台をかためていきたい。

 

  • やってきたことを振り返る

たぶん年齢以外にも積み重ねてきたものはあるはずで、落ち込んで自分のことを偏った評価しかできなくなってしまったときは、それらを思い出してみるといいのかな。金にならないものかもしれないし、趣味とよばれる範囲内のものかもしれないが、継続してある程度までふくらんできたものは自信になるかもしれない。

 

  • そのためになにかしら記録をつけておく

うえに書いたことと関連して。落ち込んでいるときって、普段よりも極端に低く自分のことを評価してしまうから、やってきたことがどんなにすごいことでもたいしたことがないように感じてしまう。そういう時は、客観的な評価に頼っひわたしは、自分が価値のない人間に思えたときは、数字にたよることにしている。

 

勉強した時間や読んだ本をアプリに記録しておいて、落ち込んだときに見返す。なにもしてこなかったように感じても、自分自身で積み重ねてきた数字は少ないとしても、0ではないと思える。

 

勉強時間を記録するために、Studuplusというアプリを使用している。かなり、愛用している。日々貯まっていく勉強の記録が支えになる。

 

わたしは、あまり周囲に左右されずに自分を肯定してあげたいので、

こういう方法をとっているけど、自分を認めてほめてくれる人のところへ行くのもいいし、賞状を眺めてひたるもいいと思う。

 

ときどきやってくる落ち込んでしまっている自分への、忘備録なので参考程度にしていただけたらと思う。

 

 

一人でいるほうが好きという気持ちを認めたら、楽になった

わたしは友だちが少ない。そして、人と良好な関係を築くことも苦手だ。

人といると楽しいが、消耗してしまう。

 

人付き合いに対しての姿勢はそんな感じだったが、いつでも友だちをほしがっていた。友だちが少ない自分がみじめだった。

 

決して、ひとりでいることが苦痛なわけではなかった。小学生のころから休み時間や放課後は本を読んでいるほうが好きだったし、現実より空想の世界が好きだった。

 

たぶん、一人でいることを周囲からどう見られているのかを気にしていたのだと思う。

本当はひとりで行動することも好きなのに、それを同級生に見られることをとても怖がっていた。

 

休み時間に机のまわりを囲まれてその中心にいることが、休日はいつも予定がつまっていることが充実した学生生活の模範であり、ひとりでいることは可哀そうなんだと思っていた。

 

ひとりでいる時間が好きなことを隠して、話を合わせるためにテレビを見て、すすめられた音楽を聴き、雑誌を読んでいた。相手に根暗でつまらないやつだと思われたくなかった。自分をけずって過ごしていくうちに人と一緒にいることが苦しく感じるようになった。

 

高校まではクラスという縛りがあったから、嫌われないためには教室内の人間関係に参加しなければいけなかった。大学に入ってからは時間割が自分で決められ、クラスがないから無理に人付き合いをする必要がなくなった。

 

無理に友だちを増やそうとしなくなったわたしは、当たり前だが大学で友だちがあまりできていない。

 

しばらくは、SNSで大学生がたくさんの友だちと遊んでいる様子をみて、友だちが少ない自分を恥ずかしがったりしていたが、わたしは一人の時間も大事にしたいし、大勢の人と交流するのは苦手だし面倒だということを認めたら、肩の力が抜けた。

 

世間とは違う自分の考えを許したら、自分でいることが楽になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

からっぽ

 

「あんたなんか、からっぽのがらんどうよ」

 

八日目の蝉という映画で、妻が夫の愛人に言ったセリフ。

 

わたしに向かって言っているのかと錯覚するくらい、わたしの現状にぴったりな言葉だと思った。わたしは、ただの視聴者だからそんなことはありえないんだけど。

 

わたしは、からっぽだなと思う。周囲からどう見えているかはわからないけど、主観ではそう思う。

 

からっぽな中身を埋めようと、いろいろ試してみたけどどれも続かない。

 

からっぽって、感じたことのない人に説明しずらい。ただ、自分には何にもないなと感じているだけだから。からっぽじゃないように見える人の説明のほうがしやすい。

 

わたしが考えるからっぽではない人は、自分の軸があって、自分でもはっきり自分の価値観を自覚していて、暇な時間になにをすれば自分が満たされるのかを知っている。そんな人。

 

とくに書きたいことがあったわけじゃない。からっぽな一日を過ごして、なんのやる気も湧かず、とりあえず寝てSNSを監視して、これからアルバイトに行く。

 

気力がまったく湧かなかったが、さみしくて誰かに話を聞いてもらいたいという気持ちがあった。

 

そんなことでいきなり連絡しても困らせてしまうだけだし、とりあえずブログに書いてみた。

 

なんにもない。

 

眠いなあ。

 

 

 

「真面目だけど、ミスが多いよね」

 「真面目だけど、ミスが多いね」

 

数か月前から始めたアルバイト先の先輩が言っていた、わたしの印象。

初めての職種であることを差し引いても、たしかにわたしはミスが多い。教えてもらっても、一度だけじゃ覚えられない。複数の作業を同時にこなすことができない。

 

とまらなくなるから自己卑下はこの辺にしておいて、とにかく先輩が言っていたことは正しい。自分でも日々感じていて、このままではいけないと焦ってすらいる。

 

たくさんやる気があるわけではないけど、お金をいただいている以上賃金に見合った働きをしなきゃいけないと思っている。なんで、わたしはこんなに仕事ができないんだろう。

 

ミスをするのが怖い。初めてアルバイト先で働いたときから思っていたこと。正確には、ミスをして周りから怒られること、きらわれることが怖い。

 

考えてみれば、バイト中頭の中を占めているのはいかに嫌われないように、幻滅されないようにするかだ。ミスをしてしまったとき、真っ先に考えるのはまた注意されてしまうという恐怖心。最近はミスをすると、恐怖心が強すぎてパニックになる。

 

だから、もうバイト中はいかにミスをしないか(=嫌われないようにするか)、今度ミスを犯したら自分の評価はどうなってしまうのかを考えている。そのせいで、注意力が散漫になって、目の前のことに集中できなくなっているのかもしれない。

 

バイトを始めたばかりのころは、さすがにミスをしても許された。その頃もミスばかりだったけど、今とは違い知識と経験がないことによるミスだったんじゃないかと思っている。

 

時間がたってくると、さすがに許されないことが増えてくる。このころからだ。ミスすると、嫌われる恐怖に襲われるようになったのは。

 

 

小学生のころから、親にも教師かもミスはいけないことだと教え込まれてきてきた。それが、いいことなのか悪いことなのかはわからないけど、それが叩き込まれてこんな風になってしまった。

 

幼少期のころの教えが、良くも悪くも長い間効果を保ちすぎている。

 

どんなミスでも、許容してくれる環境に行くというのは根本的な解決にはならないだろうし、一体どうしたらいいのか....。

 

 

 

学ぶことが楽しいと感じられるようになった

高校生まで、わたしは親からいい大学にいくことを求められてきた。中学までは、その期待に応えようとしていたけど、高校受験のといどうしても行きたい高校があり、そこに向けてがんばっていたのだけど、家から遠いとか通学時間が...などとよくわからない理由で、希望の高校を受験することを諦めさせられ、死んでも通いたくないと思った高校に通い始めたあたりから、勉強をする意味がわからなくなってしまった。

 

上位で入学したはずの高校なのに、まったく勉強をしなくなってからは、当たり前のように授業についていけなくなり、進学クラスからも落とされた。

 

それでも、まったく勉強をするそぶりを見せないわたしをみて、親はわたしを管理し始めた。通信教育の問題集を使って一日のノルマを決め、学校から帰ってきたらまず親のそばでそれに取り組み、終わったら親に見せ、ノルマをこなしたことを親が確認するとやっと一息つくことができた。

 

本人の意思ではない強制的な勉強なんてただの作業でしかないと思う。まったく頭に入らず、成績も上がらない。高校三年生になるころには、親からも教師からも見放された。

 

ここで心機一転、一年で偏差値をグンと上げて...なんてこともなく、低偏差値の大学にそのまま入学した。

 

勉強アレルギーと植えつけられた学歴コンプレックスだけが残った。なにかを学ぶことなく高校を卒業してしまったので、高校卒業程度の知識をもっていないことも恥ずかった。

 

それでも、せっかく大学に入学して時間もあるのだから、学ぶことに熱中したいと思った。受験生のときに感じたわたしは努力できない、というコンプレックスも克服したかった。

 

自分がだめすぎて、どうしようもないと思ったときあるブログに出会った。自分を変たいが方法がわからない。とりあえずこのブログに従ってみようと思った。

 

そこからは、毎日とにかくそのブログで紹介されている本を読んだ。主に心理学関連の本が多かった。最初の一か月は、一日一冊くらいのペースで読んでいたけど、まったく頭に入っていなかった。

 

つまらない本もあったけど、そんな生活を何か月か続けていたら、本に書かれていることが理解できるようになり、日常生活の中で本に書かれていたことが役に立ったり、自分が知らない自分に気づかせてくれたりと、半信半疑で学んだことが自分の身になっていると実感する瞬間が増えた。

 

気づいたら、自分のために心理学を学ぶことが楽しくなって、もっといろんな本を読みたいとおもうようになった。

 

親から強制されてもやりたくないほど勉強が嫌いだったのに、親から見放されて自由に生き方を選択できる状況になったら、学ぶことが楽しいと感じることができるようになった。

 

 

今まで、道をすべて選択してくれていた親から離れ、自分の頭で考えながら生きていくために学んでいこうと思う。