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ドアノブ取れそう

親から、精神的・経済的に自立することを目指す

久しぶり

もう、ブログの存在を忘れようと思いずっと開いていなかった。

 

半年、放置気味ながらに続けてみたけど、未だに生きづらさがなくなる気配はないし、ブログをやる意義もよくわかっていない。

 

だから、辞めようと思っていた。公開設定も自分だけしか見れないようにしていた。

 

だけど、師(と勝手に心の中で思っている人)がブログを書く意味を再び思い出させてくれた。

 

今日限りかもしれないし、明日か1ヶ月後かに書くかもしれないし、先のことはわからないけど、とりあえず今日は書く気になったから書く。

 

と言っても、とくに話題もないので、1ヶ月前に書いたまま放置していた自分の記事に返信してみる。

 

こちらね。

 

近々人生で初めてのことに参加するから、不安があるのかな。

夏休み中、人生で初めてのことに参加した。わたしからすると中々の挑戦だった。何かは書くことができないが、どうにでもなれと言う覚悟で挑んだことだ。

 

でも、もしやり遂げることができたら、少し自分を信頼できるようになるかもしれない。

なにか、やったことのないことに挑戦すればこの現状がどうにか好転するかもしれない、という作品としての青春を見すぎたような思考だった。だけど、苦しくてどうしたらよいかわからなくて、怖い中必死に選んだ。

 

 

以前みたいに失敗したらすぐに崩れてしまうような、付け焼き刃の自信ではなくて、親の手を借りずに自分で参加すると決断したことだから、親がいなくても生きていけると思える一歩目になれるんじゃないか。

うん、こんな風な気持ちになれればいいなと思って、大きな期待はせずに、でも切実な願いを持って参加したよ。

 

 

夏休みが終わって、わたしの今までの短い人生の中では一大決心だったことをやり遂げたのが今のわたしなわけで。

 

参加を目前にして、恐怖で震えながら上記のブログを書いた8月11日のわたしに結果を教えてあげようと思う。

 

 

君の決断は間違っていなかったよ。本当に、怖くて面倒になって、自分の決断を恨んだけど、無理矢理参加したら、たっっっくさんのものを得たよ。

 

人生が変わったかと言われれば大きな変化はないし、参加している間は消えていた生きづらさがまた最近は以前と同じレベルで復活しているのだけど、環境を変えればわたしも心地よく生きていける可能性があるってことがわかったことが一番大きな収穫かもしれない。

 

世界のどっかには、わたしに合う環境があるかもと思えた。

 

今でもまだ、そのままの温度で思い出せる、人との出会いとか経験とかを得られたことも良かった。

 

今話題になっている、永田カビさんの「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」で、生きることが辛くない人は、なにか甘い蜜を吸っているんじゃないか、と言っていた。

 

わたしも、甘い蜜を補充できる場所はどこだ、ガソリンスタンドはどこだと、ずっと探していて見つからなかったけど、今回あったかい思い出という思いがけない形で蜜の一部を手に入れたんじゃないかと思う。

 

ちなみにわたしはこの甘い蜜というのはエネルギー源とか原動力という意味で使っている。

 

 

相変わらず、なんの精神疾患も診断されていないし、自傷の跡もない腕のくせに生きづらい、辛い、寂しいと叫んでいるから、またこれから長い間ここにいるんだろうな。

 

救いの一つを見つけたよ。 

 

今日は一日、落ち着かなかった。寝不足だったからお昼寝をしたけれど、何度も目が覚めた。食事も異常に炭水化物をたくさん食べた。お腹いっぱいだと感じても食べ続けていた。

 

 近々人生で初めてのことに参加するから、不安があるのかな。色々とうまくいって自信があった頃(参考記事:http://doanobutoreso.hatenablog.com/entry/2016/04/21/211231)に申し込んだ。

 

その後は、失敗続きで、せっかく少しずつ積み上げていったあっけなく自信がガタガタ崩れていって、今はほとんど前の自分。

 

ちょっと自信があって、調子乗ってた頃の自分がやろうと思ったことであって、本来の弱めな私がやろうと思ったことじゃない。

 

責任を持ってやり遂げる努力はするけど、不安で仕方がない。

 

でも、もしやり遂げることができたら、少し自分を信頼できるようになるかもしれない。

 

以前みたいに失敗したらすぐに崩れてしまうような、付け焼き刃の自信ではなくて、親の手を借りずに自分で参加すると決断したことだから、親がいなくても生きていけると思える一歩目になれるんじゃないか。

 

 

何ヶ月も前から、準備もしていた。計画的にはできなかったし、クオリティも低いけれど、投げ出さなかった。

 

 

本番が近づいてきてとても怖い。自分にできるのかな。

 

まあ、それは成し遂げたあとの私しかわからないので、成し遂げたあとの自分からの返信を待ってみることにします。

 

昨日の自分に返信してみる

昨日突然書いた日記

 

1日経って昨日の自分を少しは冷静に見れるかもしれないから、返事を書いてみようと思う。

放課後、急遽友人たちと遊ぶことになった。お財布を忘れた私は、一度家に帰るようだった。靴擦れをしてしまったし、一度家に帰ると時間もかかるので、断ろうかとも考えたがせっかく誘ってもらったのと、私以外のメンバーだけで遊ばれてしまうのが怖くて、足を引きずって家まで一時帰宅した。

 

遊びに行くまでが怖くて仕方なかったんだろうなあ。わたしを誘うの本当は嫌だったんだろうなと思ってた。でも、気が乗らない時まで無理して誘いに乗らなくてもいいんじゃないかな。

 

たくさんの時間を一緒に過ごして、早く仲良くならなきゃと焦ってしまっているんだろうけど。現時点で今のグループができて4ヶ月くらい。私たちの親密度、出会って4ヶ月と考えるとそんなに遅れてはないのでは?

 

友人たちは学校から向かったので、私より行動が早かった。置いていかれてしまったことにイライラしていた。私は、靴擦れをし一度帰ってまで来ているのに、なんで置いていくんだと。

 

友人たちには、靴擦れして歩くのが辛いことを言っていなかったから、わからないよね。

あと、一度家に帰って遊びに行くと言ったのはわたしだよ。まあ、最寄駅で待ってて欲しかったなとは思だてしまうけど、そのくらいの距離感が楽じゃない?

 

 

 

ふと、私はなんで今日遊びに参加しようと思ったのかと考えた。嫌われたくなかったからだ。あとは、なかなか遊ぼうとなることが少ないので、この機会を逃したらあとはないと思ったから。

 

 

断られたらこわいから自分から遊びに誘えないもんね。みんなバイトとかで忙しくて、休みの日合わないし。この文を書いた時の気持ちを覚えていなくて、なぜ誘いに乗らないと嫌われると考えたのか思い出せない。

 

 

 

不満はあんまりない。わたしが勝手に怒って、表に出さずに鎮火させることならばたくさんあるけど。

 

不満、あるじゃない。笑

わたしっていつもそう。自分の中で収拾させる。相手に、言葉を選んで伝えるのとどちらがいいんだろう。

 

 

このグループにわたしは必要不可欠な存在ではない。わたしが参加した時は、拒否せず受け入れてくれているけど、わたしがいなくても勝手に盛り上がって楽しい時を過ごすんだろうなーと思う。

 

 

まあ、そうだろうね。いなかったらいなかったで、楽しくやるんだろうと思う。みんなで遊ぶ時は毎回誘っていただけてるんだし。きっと個人で遊んだりしないことが不満なんだよね。

 

 

結果的には、なかなか楽しかったよ。面白いポイントがわかっていないのに、大きな声で笑ってることもたくさんあったけど。

 

うん、本当に楽しかったよ。わたしが、遅れて登場した時みんな笑顔で迎えてくれて、嬉しかったな。わたしの好きなものに興味を示してくれた子がいた。とっても嬉しくて、良さをたくさん話そうとしてしまったんだけど、押し付けはよくないから気をつけよう。

 

 

あと、肩が凝った。すごく肩が重かった。楽しかった部分も多かったけど、気を使って疲れてしまった部分の方が大きかったんだろうな。

 

今日になって気づいたけど、みんなねわたしが疎外感を感じていることにうすうす気づいていると思うよ。その上で、わたしの話を聞いてあげようとか受け入れてあげようって気を使ってくれてるなって。

 

異常に気を使ってるのもおそらくバレているよ。だから、あちらも緊張してしまって壁が取り払えきれないんだろうなー。

 

勝手に気を使いまくって、空気を緊張させて、相手のせいにして、疲れてストレス溜めてるんじゃないかな。

 

 

楽しいって感じた時のことを忘れて、こんなに苦労したのに受け入れてもらえなかったという気持ちと、気を使ったのにその努力が報われていないと感じているのが、日記から伝わってきた。

 

まずはそれで良いんだけど、あとから思い出す時に同じくらい楽しかったことも思い出せるようになるといいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい服を身につけ、いつもより気分がよかった。いつもと違うねと数人の人に気づいてもらえた。

 

朝は洋服効果で機嫌がよかったのだけど、かばんを格好に合わせていつもとは違うものにしたせいで、財布と定期を忘れた。あと新しい靴のせいで靴擦れがひどかった。色んな人に助けてもらった。

 

放課後、急遽友人たちと遊ぶことになった。お財布を忘れた私は、一度家に帰るようだった。靴擦れをしてしまったし、一度家に帰ると時間もかかるので、断ろうかとも考えたがせっかく誘ってもらったのと、私以外のメンバーだけで遊ばれてしまうのが怖くて、足を引きずって家まで一時帰宅した。

 

 

家で財布をゲットし目的地へ。駅から近い場所で遊ぶと聞いていたのに、1キロちょっと歩いた。友人たちは学校から向かったので、私より行動が早かった。置いていかれてしまったことにイライラしていた。私は、靴擦れをし一度帰ってまで来ているのに、なんで置いていくんだと。

 

 

電車の中で、一人で怒って帰ってしまおうかと思った。どうせ私のことなんて忘れて、みんなで盛り上がっているんだろう。

 

ふと、私はなんで今日遊びに参加しようと思ったのかと考えた。嫌われたくなかったからだ。あとは、なかなか遊ぼうとなることが少ないので、この機会を逃したらあとはないと思ったから。

 

 

私以外のメンバーは仲がいい。私が入っても、きちんと話を振ってくれたり聞いてくれたり、輪に入れてくれている。話をすることも楽しいし、聞いているのも楽しい。

 

遊ぶ時は賑やかで騒ぐタイプのグループだが、それもなかなか楽しい。たまに、わたしが笑いを取ることもある。

 

不満はあんまりない。わたしが勝手に怒って、表に出さずに鎮火させることならばたくさんあるけど。

 

だが、このグループにわたしは必要不可欠な存在ではない。わたしが参加した時は、拒否せず受け入れてくれているけど、わたしがいなくても勝手に盛り上がって楽しい時を過ごすんだろうなーと思う。

 

みんなでいると盛り上がるけど、そのうちの誰かと二人きりになると会話がない。だから、二人きりになると未だに緊張する。他の子達は個人的にもちゃんと仲がいいんだ。

 

 

絶対このグループにわたしが必要とされているという確信がないので、もっと好かれなきゃ好かれたいと思っている。だから、遊びの誘いは断らないし、たくさん笑うし。

 

結果的には、なかなか楽しかったよ。面白いポイントがわかっていないのに、大きな声で笑ってることもたくさんあったけど。手を叩いて周りに楽しんでいるアピールをするわたしはとても滑稽だろうなあ。

 

あと、肩が凝った。すごく肩が重かった。楽しかった部分も多かったけど、気を使って疲れてしまった部分の方が大きかったんだろうな。 

 

急に日記書いたけど、なにをしたいのか全く決まっていないよ。とりあえず、自分でなにかを発信したいなーと最近思い始めたから。続くかわからないけど、新しいことをやってみようと思っただけ。

 

まず身の回りからしっかりしようと思う

わたしなりに4月から歩みを止めずに頑張っていると思う。バイト、学校、自分のケア、もっと頑張っている人なんて山ほどいるがこれがわたしの継続できるペースなのだと思う。

 
少しずつ少しずつ、積み重ねていってたまにめちゃくちゃに崩れてまた少しずつ積みあげてという繰り返し。
高くすることばかりに気を取られて、もともとゆるい地盤を強化出来ていない。
地盤がゆるいので軽くつつかれた程度ですぐ崩れる。
 
高く積み上げていくと、目立つから人に褒めてもらえる。根っこを強くしたところで誰も見てくれないから、地盤の強化よりどんどん高く積み上げていったほうが楽しい。
 
でも積み上げてもすぐ崩れては、意味がないのでここら辺で一度つまらない地盤強化の作業に入ろうと思った。
 
読んでくれている人はおそらくなにを言ってるかわからないかもしれないが、書いているわたしもよくわかっていないので許してほしい。
 
とにかく自分の根っこを強くしたいという話だ。
 
根っこを強くするとはどういうことだろう。考えついたことをあげてみる。
 
・自分の欠点ごと受け入れる
・自分との信頼関係を築く
・自分の決断に自信を持てるようにする
 
うーん、ざっくり言うと自分を好きになるってことかな。
 
心理学イズムという心理学についてツイートしてくれているbotによれば、自分を大事にすることが自分を好きになるために必要なんだとか。
 
自分を大事にする行動の例をいくつか心理学イズムさんから引用させていただく。
・部屋の掃除をする
・一人でも手抜きの食事にしない(ex.綺麗に盛り付ける、鍋のままラーメンを食べないなど)
・空腹を満たすための食事ではなく、楽しむための食事をする
・散歩
・音楽を聴く
・人に見せるためのおしゃれではなく自分に見せるおしゃれをする
・休みの日でも髪の毛ボサボサで過ごさない
                                                       など。
 
上記のような基本的なことを疎かにして、一気に問題を解決するようなことを求める態度が自分をより生きづらくさせているらしい。
 
上記の基本的なことを大切にする意味がわからないんなら、とにかく基本的なことを大切にして生活しなさいとツイートしていた。
 
 
確かにいろいろな問題を一気に解決させる方法はないだろうかといつも考えている。そればかりに気を取られて日常的なことはかなり疎かだ。
 
なんだかGWくらいからさらにいき詰まっているので、とにかく半信半疑でやってみようと思う。
 
 
 

自尊心と自己愛

更新が途絶えすぎなので、半年ほど前に書いたまま下書きに放置していた記事を投稿してみる。以下、半年前のわたしが書いた文。
 
誤解を呼びそうなタイトルですけど
自尊心ってアイデンティティの確立とか自分に自信をもつことに密接に関係してくるっぽいので調べてみました。
 
 

○自分好きには二種類ある

何事にも果敢に挑戦できる人ってきっと自分に自信があるんだろうけど、なんか人気がある。
ところが、一般にナルシストと呼ばれる自分に自信のあるひとはなぜだか煙たがれてしまう。
 
どちらも自分を好き、少なくとも嫌いではないという点は同じなのに、なぜ結果が違うのか。
 
前者は過去の経験から自分を信頼している
後者は自分を好きになろうと必死な感じがする
 
 

○自尊心

さっきの話でいうと前者がもってるのがこれ。
 
以下特徴について
 
自尊心が高い人は、自己評価でき、自信と安定感がある。
何ができるから自信がある、ということではなく、
自分の存在自体・ありのままの自分自身・自分の長所欠点得意不得意全てを含め、
自分そのものを絶対的に肯定できる礎を持つ。
 
たとえ良い他者評価が得られなくて傷付くことがあっても、
欠点があらわになるような出来事があって落ち込んでも、
人から大切に扱われないことがあっても、
それを受け入れ、感情をコントロールし、 そこから学び反省し、自身が取り組むべきことを見つけ、
逃げることなく行動することができ、努力を避けずに邁進する力がある。
 
また、ありのままの自己を尊重できる人は、ありのままの他者をも尊重することができ、望ましい人間関係や距離感を築くことができる。
 
 
○自己愛
後者に当たる。
以下特徴
 
自己愛とはナルシズム・自己陶酔のこと。
大人になっても自己愛が強いままであると
「自分ほど立派な人間はいない」という誇大感を持ったままになってしまう。
しかしながら、自尊心の低さやこの誇大感を自覚できている方は意外と少なく、自覚がないまま無意識に行動パターンや態度・発言に現れていることがほとんど。
 
 

○自尊心は大人、自己愛は成長過程

自己愛は子供の頃は持っていてもなんらおかしくはない。しかし、成長と共に手放して自尊心を高めていく必要がある。それが健全な成長過程。
しかし、親が過保護だったりしたために挑戦させてもらえなかったり、反対に高いノルマを課されまたは単純に好きになれず否定ばかりされて育つと自己愛が強いままで自尊心が養われない。
ある程度成熟してから自己愛が強いままだと、現実的な自分の実力が把握できない(誇大感)とか自分を自分でうまく受け入れられないため、他者に依存してしまったりする。
 
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以下、2016年5月25日(本記事投稿日)現在のわたしの文。
 
これを書いた頃のわたしは、真面目系クズなどと自称し嘆きながらも自分がいかにクズかを自覚できていなかった幸せな状態だった。自分の欠点を改善したり、不完全な自分を受け入れたりしていくための行動(情報収集、読書など)を始めて一ヶ月程だったので、こんな偉そうな文が書けているのだろう。
 
最近のわたしは以前よりは積極的に外の世界に触れるようになり、自分の欠点を次々と見つけている。日常のこなすべきことに追いつけておらずブログ云々以前に当たり前のことを当たり前にこなすことが最優先課題になっている。
 
特にブログを辞める予定もないが、定期的に更新する予定もない。
 
 

自立ってなんだろう

最近、自立とは何か考えている。

カウンセラーさんに今後どういった方向でカウンセリングを進めていくか問われた際に、わたしは卒業までに両親から経済的・精神的に自立することと答えた。カウンセリングではもちろん精神的な部分のサポートをしてくれるので、精神的に自立していくことを目標に進めている。わたし自身も経済的に自立することよりも精神的に自立するための行動にウェイトを置いている。
 
 
経済的・精神的に自立することを目標にしたが、そもそも自立とは何かがイマイチわかっていない。目標達成のためにまずは目標の正体を理解しなければ。
 
 
精神的に親から自立することと経済的に親から自立することは互いに関係があると思う。
 
そもそもまだ両親から精神的に離れられないわたしになってしまった原因は幼少期にある。ある程度の年齢になるまでは自分の身の回りの世話をしてくれる人や経済支援をしてくれる人、あるいは選択に迷った時に助言をくれる人が必要だ。多くの場合その役割は親が担ってくれる。つまり幼い子供にとっての親(またはその役割を担っている人)は経済的にも精神的にもいなくては生きていけない存在だ。自分の親が未熟であっても機嫌を損ねないように生きていかなくてはいけない。
 
 
 
経済的に自立出来ていなければ親の援助を受ける必要があるから、機嫌を損ねることが出来ないという状態がある程度の年齢になっても続く。
 
精神的に自立出来ていなければ、選択を迫られた際に1人では決められず親の意見を鵜呑みにしてしまうということがおこる。
 
 
つまり、親がいなければ生きていけないという状態から抜け出さないといつまでも見捨てられ不安がつきまとい、親のことが嫌いであっても機嫌を損ねないように親の言うことを聞いて大人しくなるしかない。
 
そう考えると、親に頼らなくても生きていけると自分自身が思えた時に自立することが出来るのではと思う。
 
 
精神的に自立出来ていないから経済的に自立出来ない(またはその逆パターンも)ということはないと思うけれど、両方を達成出来た時がわたしのゴールだ。
 
かなりの時間がかかるだろうけど、ゆっくりやっていきたい。